春田康吏のLogbook

当てのない航海日誌のようなもの。

初めて将棋の大盤解説会に行ってきた

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https://www.instagram.com/p/BhiynAzAZGU/
#叡王戦 #大盤解説会 初めて行ってきた。立ち見も出るほどの大盛況。

ぼくは一体どこに向かってるんだとも思うけれど、去年からの小学生以来の将棋熱再燃が鎮火することなく、ここまできてしまいました。
30分前に行ったのに長蛇の列ができていてびっくりしたけど、無料でスポンサーでもある生茶ももらえて楽しかったです。
ここに来ている人、みんなニコニコプレミアム会員なんだろうか。とか、
なんかどの人も将棋どちゃくそ強そうとか思ってしまいました。

登壇が、山崎隆之 八段と長谷川優貴 女流二段
福崎文吾 九段でみんなお話が上手くて盛り上がりました。
長谷川女流は妙な色気がありますね。

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現地の画面の方が鮮明に見えてリアルタイムなのはどうしてなんでしょう。
自宅の光回線Wi-Fi環境でもこんなに鮮明には見えません。
これは通信環境のせいかもしれませんが、現地でスマホで見たらだいぶん遅れていました。

ところで今日は、愛知県西部で3回も小さい地震があったり、シリア空爆があったり、
不穏ですね。

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【寄稿】「障害者ってなんだ?」春田康吏のラボラトリー

メールマガジン「B-Search NEWS 2017年10月27日分」に寄稿した文章です。
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ご存知の方もおられるかと思うが、ぼくはいわゆる身体障害者(※1)である。
それもわりと重い方である。このエッセイは、障害者福祉をテーマにしているわけでもないので、
書く必要もないかなと思っていたが、ときどきは書いてみようと思う。
そもそも、障害者ってなんだろう。障害者と健常者の違いってなんだろうと思っている人もいるだろう。
それには、大きく分けて2つの考え方がある。
1つは、手帳を持っている人は障害者という考え方。日本には身体障害者手帳(身体障害)、療育手帳(知的障害)、精神障害者保健福祉手帳精神障害)(※2)というものがある。そのうちのどれか1つでも持っている人は、障害者という考え方。
手帳をもらうには、役所に書類を出したり、病院でお医者さんに診断書を書いてもらわないといけない。
それで例えば病院に行くと、お医者さんはいろんな検査をしたりして、「あなたの足にマヒがあるから、生活の中でいろんな困ってることが起きているんですね」と診断する。
お医者さんが、「あなたの足が悪いから困ってるんだよ」と言うので、これを「医学モデル」と言う。
障害は、個人に原因があると考えるので、「個人モデル」とも言う。
ここまでが1つ目の「障害者ってなんだ?」の答え。

そして2つ目は、誰だか知らないけれど、その医学モデルにツッコミを入れた人がいる。
同じ足にマヒがある人でも、住んでる場所や環境によって困ってることや度合いが違うんじゃね?と。
極端な例で言うと、貧しい国の田舎に住むAさんとバリアフリーが進んだ国の都市に住むBさんがいたとする。
2人には全く同じ足のマヒがあるのだけれど、困ってることだったり困ってる度合いは大きく違うはずだ。
極端な例でなくても、お店の前に段差があったとする。そこにスロープがある場合とそうでない場合とでは、車いすを使ってる人からしたらお店にスムーズに入れるか、あきらめるか。変わってくるはずだ。
つまり、障害は社会に原因があると考えるので、これを「社会モデル」と言う。
ハード面だけでなくて、ソフト面、その社会の人々の障害者に対する目(50年前と今とでは障害者に対する人々の目は違うだろう)も含めての社会モデルである。

以上、普段、障害者に全く接したことがないような人にも分かりやすく、
かいつまんで書いたつもりだが伝わったかどうかは分からない。

※1 障害者を障がい者と表記することもあるが、社会的に統一されていないことと視覚障害者用の音声リーダーの中には、「さわりがいしゃ」と読んでしまうソフトもあるので、ここでは障害者と書いている。

※2 さらにこれまで見過ごされてきた発達障害や難病の人たちにも広げていこうという動きがある。

親。

www.zinseitanosiku.com

これを読んでその通りだと思ってしまったのは年を取ってきた証拠か。
ここ数年、両親の老いというほどではないが、衰えのようなものは生活の端々で感じるようになってきた。

あぁ、親も老けたなぁなんて感傷に浸っている場合でもない。
きっかけは、エアコンの買い替えで値段が高い方法を契約しそうになっていたのをやめさせたことだったり、親が使うスマホの契約に同行させられたり、なんか前と違うよねと感じ始めたことからだった。
手先の器用さや記憶力についても感じる。
自分のことだけでいい時代は終わりつつあるのかもしれない。
障害者福祉界隈では、「親の死後」なんてキーワードがあるが、いやいや死ぬ前どーすんの。ましてや重度の障害がある子どもにとっては、要支援になっても、かなりの無理ゲーである。
少し前に、数回遊んだ難病持ちの友人がいた。彼女は、親の介護をしていた。もちろん、医療や福祉の支援を入れてはいるが、自分もいろいろ介護しなくては回っていかない。自分のこともあるのに。
愚痴をSNSに書き連ねる彼女に、親とは離れて独り立ちしろなんてコメントもあった。それに対して、見捨てろということ?という彼女の反発もあった。
結局、今は彼女と連絡が取れない状態が続いている。無事ならいいが。