春田康吏のLogbook

ある重度身体障害者の人生航海日誌。

四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

短編は、あまり読んでこなかった。どこか物足りない気がしていて。
長編こそ最強、長編至上主義みたいなところもあった。

しかし最近、短編やショート・ショートなんかもいいなと思っている。
年を取って、長編を読むのがしんどくなったのか。そういうことでもないと思う。

「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という村上春樹の短編がある。読んでみて、短編どころかショート・ショートだと思った。

最初は、「4月」だったが加筆修正をしたときに、「四月」になったらしい。



初出は、カンガルー日和 (講談社文庫) [文庫]らしいが、どうせなら加筆修正されたものを読もうと思っていて、探していた。
以上の全集に収録されているところまで自分で突き止めた。

でも重たいだろうなぁと思って、駄目もとで図書館の人に聞いてみたら、
何と以下にも収録されていたのだった。



これこそ司書の腕の見せどころというか、よく教えてくれたなと感謝している。
この本は、問題文が少しうっとおしいことを除けば、他にもなかなかいい作品が収録されていて良い。
芥川龍之介の「蜜柑」を初めて読んだが、なかなか粋なものだった。

さて、この文章はここで終わりではない。
自分にとって、100パーセントの人って存在するのだろうかということである。
顔や性格、すべてにおいてである。
人を数値化するなんて失礼極まりないのだが。

僕の人生で言えば、最高98パーセントくらいの女性は昔いた。
こういう人と結婚できればすべて上手くいくような気がしていたけど、残念ながら既婚者だった。
その人の夫が世界一うらやましかった。

しかし人は季節のように変化すると思っているので、この数値は固定ではない。
変動していて、その周辺を行ったり来たりしていると思う。

自分にとって40、50パーセントくらいの人が、80、90パーセントになることは体験したことないし、ありえないと思っている。

ただ、こっちが98パーセントくらいと思っていても、相手にとっては40パーセントくらいという場合もあるのかもしれない。

誤解してほしくないのは、人と交流していて「コイツ、何パーセントだな」とかは、いちいち思っていない。
数値化したところで何の意味もないからだ。
この村上春樹の短編を受けて、少し考えてみただけの話である。